PROFILE 
プロフィール

Prosound SOS 代表 若林栄作
2001.11.MJ に掲載(発行所:(株)誠文堂新光社)
ヴィンテージギターアンプの魅力を語る(P.153~)

若林 栄作
Eisaku Wakabayashi

Prosound SOS 代表
Guitar & Bass Amp Repair Master

  • 1953年 栃木県栃木市西方町生まれ
  • 1965年 6AR5s モノラルアンプ自作:T兄監修 6BQ5pp モノラルアンプ
  • 1968年 MT管5球スーパーラジオ自作
  • 1969年 MT管高1中2〜高2中3ラジオ自作
  • 1970年 7mhz帯807送信機自作
  • 1971年 栃木工業高校電子科 第8回卒業
  • 1971年 50mhz→7mhz、FET xtalコンバーター自作 50mhz807s送信機自作
  • 1972年 D家電入社 サービス部配属
  • 1975年 Lux KMQ-60 ステレオパワーアンプ作製 出張修理配属(後半1年半:歩合給修理)
  • 1978年 リスロン楽器入社 技術部配属
  • 1984年 池袋の仮事務所にて独立 サウンドSOS
  • 1985年 西糀谷2丁目へ移転 プロサウンドSOSに改名
  • 2002年 西糀谷3丁目へ移転

日々の修理記録を更新中です。

ギターアンプ等修理・改造日記


原点

田舎の3人兄弟の末っ子として生まれ育った。小学生の低学年の頃は、プラモデルを好くいじっていたが、高学年の頃になると、兄の影響で徐々に電気いじりが好きになり、真空管に興味を覚えるようになった。友達の故障しているラジオを知ったかぶりして調べていて、余計に壊してしまったのを思い出す。(ゴメンナサイ)並三か並四ラジオで真空管は全てST管だった。
間もなく、近所の自転車さんのアンサンブルステレオを聞き音のよさにビックり。当時は貴重品で、村の中で持っている人は少なかったようだ。確か6BM8ppか6BQ5ppだったと思う。そのサウンドに影響を受けたのか一番初めに6AR5sアンプを作った。(兄に教示してもらいながら、パーツは、兄が栃木市内の屑やさんから500円で買ってきたテレビの中古から採って作った。)
スピーカーは兄の物を借用。その後、物足りなくて正月のお年玉を持って兄と初めて秋葉原へ全てのパーツを買いに行った。駅に着くと美味しい匂いがして田舎とは違う不思議な感覚に浸った。色々と苦戦したが6BQ5ppアンプは数段音質がよく迫力もあった。嬉しくて同級生に話をしたら、お父さんに聞かせて欲しいとの事で鉄工所に持っていったら、売ってくれないかとの事で7,000円で売ってしまった。当時小学校6年生だった。
その後、今度は無線機に興味を覚えて数々の受信機・送信機・アンテナ作製等、青春の思い出を作らせてもらった。これも偏に兄のおかげと思っている。


ホームページ作成(2006.4.16)

耳慣れないIT用語に翻弄されて何とか開設に運ぶことが出来ました。ホームページを作成することは、私のようなアナログ人間にとっては、かなり過酷だった。(最終段階の設定でB氏に大変にお世話になり感謝、感謝です)
ホームページ作成にあたっては、今まで現場とのコミュニケーションを太くしたくなったのか?生まれて半世紀を過ぎて何かを語りたくなったのか?自分でも解らないが、ふとまとめてみたくなった。

変な名前を付けた。
長年技術畑で来た私にとっては、困ったことがあればいつでもSOSしてください!相談してください!との意味あいで名前を付けたが実に単純な発想だった。
当時24歳、友人の勧めで修理できる人との事で(S先輩についていけるのなら)楽器屋に就職したが、1ヵ月後にS先輩は独立のため会社を辞めてしまったが、幸いに一駅離れた所だったので解らないと持って行き、約2年間で楽器の修理の基礎を学ぶことができ感謝している。その当時、ナイト店でバンドの音響機材と言ったら、ELK 、GUYATONE、ACETONEのヴォーカルアンプ等が大半で、シュアーやビンソン3〜4段セットを使用しているのは売れっ子バンド若しくは金持ちバンドだった。アンプ類は良くてFender Prorev、Showman、Twinrev等だったように思う。そう、GuyatoneのGAシリーズ(Fender社をコピーした物)、Juggbox等が有り修理をしたことも多々あった。ベースアンプはAcetone B-6、Fender Bassman等でエコーの機械は、ミラノ、Acetone、ELK(EM-4)等が大半であった。キーボードード類は、ヤマハのYC-20・YC-30・ソリーナ、レスリー147、ハモンドのX5、Acetone GT-7・GT-5等でバンドさんに呼ばれて出張修理に行った。
特にEM-4の修理は多くて毎日のように改造しては直していたのを思い出す。それくらいELKが売れたのだった。その後は、ローランド社製品及びローランドのテープエコーが一世風靡をした。
そんな時代に、アメリカからB社のコンパクトスピーカーが入ってきて衝撃的なデビューをし、売りに売れ製品が足りなくて待ちに待って入荷したのを取り付けに行った。当然修理や改造(powerin-preout取り付け)、工事も一段と増えた。そんな環境で育てられた事もありSOUNDは何時も自分にとっては切り離せずPROSOUND SOSの名前を付けた。
SOUNDSOSは池袋の仮事務所時代(約4ヶ月)、PROSOUNDSOSは大田区に事務所移転の際に改名した。

(2016.4.10追記)
そしてこの度、Unpluggerこと相馬氏のご協力のもと、10年目の節目にホームページをリニューアル致しました。
今後ともProsound SOSホームページを宜しくお願い致します。


思い出のハモンドオルガン(V222S:トーンホイル型)改造

独立後初めての大きな仕事は、1985年(昭和60年)12月、電気ストーブ一つで土間の為手足がしびれるくらい寒く、ハモンドオルガンコンボタイプをキーボード本体とトーンホイル(発信器)部アンプ本体を手のこぎりで恐る恐るカットした。
ケーブルの本数は150〜160本(多芯ケーブル使用)で取り外しが出来移動できるようにした事。期間は昔のことなので忘れたが、一週間否二週間くらいかかったのでは。
当時のケーブル系統の青写真が残っているが、残念ながらカメラには記録していない。(独立して間もない為か?怖いもの知らずだった)


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